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【PLEDIS】プルディ王朝 実録 vol.4

PLEDIS entertainment

Time Holicです。本日もプレディスの歴史について…..泣。

いや、マジで回を追うごとにどんどん文章が複雑になっていく原文に悪戦苦闘してます。

というか、分かりやすい日本語文章にするのが一番難しいってどういうことだろう….??

ま、とにかく始めてしまったものは最後までやるしかないので、そこのあなたも最終話までお付き合いくださいませ~。

プルディ王朝 実録 vol.1
・そのすべての始まり
プルディ王朝 実録 vol.2
・プレディスキャスティング伝説
プルディ王朝 実録 vol.3
・プレディス大激動と混乱の時期
プルディ王朝 実録 vol.4 (←現在ココ)
・過度期を迎えるプレディスファミリー
プルディ王朝 実録 vol.5
・プレディスがフレディス
プルディ王朝 実録 vol.6
・どんなドラマ
プルディ王朝 実録 vol.7
・プレディスはソンスを除けば皆 優秀
プルディ王朝 実録 vol.8
・その後 (完)

最初から読みたい方はは上のボタンを押すとタブが開くので、そちらからどうぞ。

過度期を迎えるプレディスファミリー

2012年2月のある日、プレディスは学校前の地下鉄駅に立っていた中学生を見て急いで名刺を渡す。

後にアイドルグループSEVENTEENのラッパーとなりプレディスファミリーのビジュアルラインに一線を画したチェ・ハンソルが、その年の冬に入社した。

そしてその翌月のある日、テンペストのデビュー中止によりデビュー組に属していた何名かの練習生が大混乱に陥り、約束もないデビュー日を待つことが出来ず一人、二人とプレディスから離れて行った。

当時プレディスは、テンペストの計画が霧散してしまったせいで新しい男子グループの企画に神経を注がなければならない状況であった。

そんな中、インターネット上で学校の先生が載せた男子学生の歌の映像を見る。

その動画の主はその後、SEVENTEENの声として位置づけられるメインボーカルのブ・スングァンだった。

新グループのボーカルメンバーが必要だったプレディスは、すぐに連絡をしてブ・スングァンをキャスティングする。

そして、その2週間後のまた別の日に全州で行われたダンス大会で独自の踊りを踊っていた若い学生を発見した。

彼が後にSEVENTEENのディノとしてデビューすることになる14歳のイ・チャン。

その他にも、現在はプレディス所属ではないが、旺盛な活動を見せているサムエルがこの時期に入社している。

一方、NU’ESTデビュー後の活動とオレンジキャラメルの正規アルバムで目が回るほど忙しかったプレディスのキャスティングチームは国境を問わず積極的に活動していた。

同年、中国上海。

コンビニの前で友達と遊んでいた高校生は韓国語を話す人に突然名刺を渡される。

SEVENTEENのジュンとしてデビューすることになるムン・ジュンフィ (当時17歳) だ。

その後、2012年10月にムン・ジュンフィはプレディスファミリーの一員になった。

またその1ヶ月後、11月の寒い日にプレディスオーディションに堂々と合格し、後にSEVENTEENのドギョムとして活動するイ・ソクミンのオーディション入社までが2012年度プレディスファミリーの全容である。

プレディス初の男子アイドルグループのデビューと歌謡界が注目する独特なコンセプトのユニットグループ、そしてグローバル化に向けたアフタースクールの日本活動にも気を使い、忙しい日々を過ごしていたプレディスの2012年はそうして終わった。

年が明け、2013年を迎えたプレディスエンターテインメントは、17人組男子アイドルグループの新しいプロジェクトをマスコミに公表する。

そして同年5月には、偉大な誕生シーズン3の優勝者であるハン・ドングンを迎え入れ、ソロ歌手の活動にも手を拡げることを予告した。

※SEVENTEENプロジェクトの告知後、間もない期間に行われたハン・ドングンの獲得は、プレディスボーイズのファンにハン・ドングンがSEVENTEENとして活動するのではないかと思わせるきっかけにもなった。

同じ時期、アフタースクールは日本で無難な成績を収めて韓国に戻り、FIRST LOVEという新しいシングルでカムバックするが、2012年の日本活動を終えた後すぐに、リーダーであり総企画者でもあったカヒが卒業する。

実際、アフタースクールの日本デビューは日本国内の有名なガールズグループと重なり序盤から難航していた。

それでもオリコンウィークリーチャートで7位になるなど地道な活動を続けて行く。

アフタースクール自体は日本の活動に重点を置いていたが、その間に韓国では新しいアイドルが雨後の筍のように生まれ、結局、アイドル界の持分も努力した分の成績も上げられず、カムバック活動が振るわないまま一年を終えた。

そしてその時期、韓国内ではNU’ESTが2枚目のミニアルバムHELLO (여보세요) を発表し過渡期を迎える。

2013年2月13日に公開されたHELLO (여보세요) は、これまでのボーイズグループにはなかった独特なコンセプトと心に響く要素で注目を集めたが、一部メンバーの健康上の問題により3月末に活動を早期に終了させ、後続曲のカムバックもしないまま、またすぐに日本での活動を再開し韓国内での飛躍の機会を逃した。

※韓国内のアイドルとして立場が固まっていないNU’ESTにとって、とても重要な時期に発売された3枚目のミニアルバムタイトル曲Sleep Talkingは、後にNU’ESTファンダムの支持基盤となった名曲である。

デビュー後のFACEからACTION、HELLO (여보세요) の活動では大きな注目を集めていたが、当時は時代をリードした、あるいは逆行したような独歩的コンセプトの新曲では関心を得ることが出来なかった。

そしてNU’ESTもアフタースクールとともに日本での活動に重点を置くようになり、韓国内では全く立場を固めることができない残念な状況を迎える。

そのようにプレディスのアーティストのほとんどが日本での活動に力を注いでいた2013年、時期と国境を問わずいつでもどこでも意欲的に働くプレディスのキャスティングチームは、アメリカロサンゼルスのフェスティバルで後にSEVENTEENのジョシュア、N行詩職人として様々な名言を誕生させるホン・ジス (当時19歳) をキャスティングする。

そしてジョシュアが入社して1ヶ月ほど経った頃、やはり熱心に働いていた国内キャスティングチームは舎堂 (サダン) 駅前を通りがかった一人の男子学生を見つけ、演技塾に行くところだったその学生に名刺を渡しながらオーディションを勧めた。

SEVENTEENのユン・ジョンハンである。

後日、ユン・ジョンハンはハン・ソンス代表が好む中性的美少年の系譜をNU’ESTのレンから引き継ぎ、長い間長髪のコンセプトで活動した。

※余談として、レンとユン・ジョンハンの目鼻立ちを切り離して見ると良く似ている。長髪にした時の感じや妙に重なるコンセプトイメージが拒否感なく自然に見え、プレディスにおいて似たイメージとして消費する理由に納得できる。

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