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【PLEDIS】プルディ王朝 実録 vol.5

PLEDIS entertainment

こんばんは、Time Holicです。セブチの本国カムバック、めちゃめちゃ楽しみですね!

プレディスはまだ決まっていないとか何とか言っていますが、今回さらっと出した報道で世間の反応を見てから決めるようです。

このプルディ王朝でも何度か言及されていますが、ハン・ソンスの神の一手

それを私たちはリアルタイムで体験し始めている……の?かもしれません。笑

それでは!常に翻訳に苦労しているプルディ王朝 実録 第5話のスタートです。

プルディ王朝 実録 vol.1
・そのすべての始まり
プルディ王朝 実録 vol.2
・プレディスキャスティング伝説
プルディ王朝 実録 vol.3
・プレディス大激動と混乱の時期
プルディ王朝 実録 vol.4
・過度期を迎えるプレディスファミリー
プルディ王朝 実録 vol.5 (←現在ココ)
・プレディスがフレディス
プルディ王朝 実録 vol.6
・どんなドラマ
プルディ王朝 実録 vol.7
・プレディスはソンスを除けば皆 優秀
プルディ王朝 実録 vol.8
・その後 (完)

最初から読みたい方、もしくは一度読んだ記事を再び読みたいという方は上のボタンからささっと飛んでくださいね。

プレディスがフレディス

2013年、ユン・ジョンハンの入社後もプレディスの練習室には新しい練習生の足が途絶えなかった。

プリスティンのイェハナとしてデビューしたキム・イェウォンとボイス・コリアやスーパースターKで名前を知られていたチョン・ウヌが、2013年のプレディスオーディションに合格し練習生生活を始める。

その年の12月には、後にSEVENTEENのディエイトとしてデビューするソ・ミョンホを授業中にキャスティングしてプレディス2013年度の練習生招集は終わった。

そしてその後、プレディスの練習室、通称メロナ刑務所で2015年にデビューするアイドルグループ、SEVENTEENの全メンバーが出会う。

しかし主力アーティストを韓国内の活動に集中させず日本にすべて投入していたプレディスは、翌年、前例のない事業難航に陥った。

2014年3月に公開されたCatallenaでオレンジキャラメルは成功街道を走ったが、同年7月に正規1集でカムバックしたNU’ESTは、韓国内での狭い立場と頻繁な海外活動による認知度不足で成績が振るわず興行に失敗した。

また、ファンタジオと共に進めていたハロービーナスプロジェクトが7月末に終結し、元メンバーであるユンジョとユ・アラが脱退の手順を踏む。

※これはプロジェクトを開始したプレディスとファンタジオ間の対立によって行われたもので、所属アーティストに対する無責任な管理とグループの存続において、アイドル企画会社であるプレディスがあまりにもぞんざいな態度を取ったせいである。

おかげで多くのハロービーナスファンは大きく落胆することになった。

それだけでなく、2014年のプレディスは日本契約を結んだソネットの強い圧力を受け、韓国内で成績が振るわなかったNU’ESTを無責任にも日本に送ってしまう。

※各種イベントにおいてファンサービスを口実にし、絶えず行われた人権侵害行為を引き止めることも拒否することもなくそのまま放置していたことが後日ファンダム内で問題視された。

韓国で正規1集タイトル曲Good Bye Byeの活動中にも、日本側の要求を受けたプレディスがNU’ESTの音楽放送活動を一時中断させ、メンバー2人を限定アルバムの広報活動のため日本へ送ることもあった。

2014年7月31日に行われた日本デビューアルバム『NU’EST BEST IN KOREA』リリースイベント

その後もNU’ESTは、言葉もまともに通じない海外で韓国語の使用を禁止され、韓国人マネージャーもなくメンバー自身が海外各地の出入国手続きをし、猛暑の暑い日射しの中や真冬の寒波の中で12時間にわたり食べることも休むこともできないまま殺人的なセルカイベントを毎日のように行っていた。

また、コンサート終了後、倒れて病院に運ばれてから数時間も経たないうちにメンバーにスケジュールを渡すこともあれば、声帯結節で入院したメンバーを一人で病院に行かせ、十分な休息期間も与えずに中国のスケジュールに送ってしまうなど困難な状況で海外活動を続ける。

※紆余曲折の中、韓国初のレギュラーアルバムRE:BIRTH (タイトル曲Good Bye Bye) でカムバックしたNU’ESTだったが、プレディスは積極的に支援するどころか日本へ何度も送り、NU’ESTとそのファンたちに取り返しの付かない傷を与えている。

この時期のプレディスは、国内で唯一興行を収めていたオレンジキャラメルに頼りながら、どうにかこうにか新しいアイドルの企画を継続していた。

一方、プリスティンのロアとしてデビューするキム・ミンギョンが高校2年生でプレディスに入社し、同じ年齢で後にユハとして活動するカン・ギョンウォンもプレディスオーディションに合格し入社する。

同年、日本での活動に専念していたアフタースクールは期待するほどの結果を収められず、資本力が不足したプレディスは本国内でオレンジキャラメル、本国外ではNU’ESTを回しながらやっと持ちこたえていた。

12月、ハロービーナスを脱退していたユ・アラが新しい所属事務所を探しにプレディスから旅立った。

翌1月にはアフタースクールのオリジナルメンバーであり、大きな主軸でもあったイ・ジュヨンもまたアフタースクール卒業後、脱プレディスをすることになる。

プレディスには、ソン・ダムビやユイなど演技も兼業しているアーティストがたくさんいた。

しかし、イ・ジュヨンとユ・アラが新しい所属事務所を探して出て行くなど、当時のプレディスは既存のアーティストさえ引き留められないほど経営状況が悪化していた。

暗黒期だった2014年をどうにか耐えてきたプレディスは2015年を迎えた1月、リジのソロ活動でトロットを公開するが興行は不振に終わる。

以後、アフタースクールの公式活動は一切無く、ジョンアとガウンはショッピングモールやDJなどの領域で活動範囲を拡げていく。

会社に貢献しプレディスの大きな柱だったアフタースクールの活動が事実上中断され、国内で唯一収益を収めていたオレンジキャラメルと国外で不当な扱いをされながらも活動していたNU’ESTでプレディスはなんとか命を繋いでいた。

そうして何ヶ月かが過ぎた5月。

その誰よりも長い経歴と社屋の壁面額縁の中で大きな割合を占めていた先祖、チェ・スンチョルが5年の練習生期間を清算する。

そしてプレディスは彼を総括リーダーにし、13名の奇跡をデビューさせた。

Time Holic
Time Holic

※注) サブタイトルのフレディスについて捕捉します。こちらは후레자식 (フレジャシク) 플레디스 (プレディス) を掛け合わせた造語となっています。

후레자식 (親がいなくて常識がない、無礼なやつといった意味) は限りなく悪口に近い言葉となりますので、プレディス所属のアーティストの前では絶対に口にしないようお願いいたします。

ま、言ったら最期、人間性が疑われて嫌われるだけですけどね!笑

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