【PLEDIS】プルディ王朝 実録 vol.1

PLEDIS entertainment
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Time Holicです。

今回はSEVENTEENやNU’ESTが所属しているプレディスエンターテインメントの歴史について、本国ファンダムの方が物語風にまとめたものを翻訳してご紹介します。

翻訳にあたり分かりやすく誰にでも理解できるよう大幅に意訳しました。

意訳なんかいらん!原文ママ読みたいんじゃ!

という方は原文が今でも残っていますので『플디왕조실록』で検索して探してみて下さい。

全部で8話…..も…..あるので少しずつ公開しますね。←安定の不定期更新です。

プルディ王朝 実録 vol.1 (←現在ココ)
・そのすべての始まり
プルディ王朝 実録 vol.2
・プレディスキャスティング伝説
プルディ王朝 実録 vol.3
・プレディス大激動と混乱の時期
プルディ王朝 実録 vol.4
・過度期を迎えるプレディスファミリー
プルディ王朝 実録 vol.5
・プレディスがフレディス
プルディ王朝 実録 vol.6 (順次公開予定)
・どんなドラマ
プルディ王朝 実録 vol.7 (順次公開予定)
・プレディスはソンスを除けば皆 優秀
プルディ王朝 実録 vol.8 (順次公開予定)
・その後 (完)

全話一気に読みたい方は上のボタンからどうぞ。

そのすべての始まり

199N年、まさに石板の大株主と呼ばれるほどエンターテインメント業界でしっかりと確実に地盤を固めていたSMエンターテインメントの首長イ・スマン理事は、ある日一本の電話を受けた。

・・・もしもし

イ・スマン代表?
代表で間違いないですか?

ええ、そうですが、どなたですか?

代表、仕事を学びたいです。
ぜひとも学びたいんです。

受話器の向こうから聞こえてくる声は熱意に満ちていた。

仕事を学びたいと言って震える声でお願いしてきたその男を早速呼んだイ・スマン代表は戸惑った。

当時イ・スマン代表は長い間心血を注いだアーティスト、ボアのケアを任せられるマネージャーを探していた。

薄給で仕事も多い上に体力的な面と精神的な面をまんべんなくサポートできる20代前半の若い労働力を希望していたからだ。

しかし、イ・スマン代表の目の前に現れた男は自分を30歳だと言い、国立舞踊団で韓国舞踊をしていたダンサー出身だと紹介した。

ハン・ソンスという男。

雇用に難色を示したSMEの露骨な態度にも怯まず、彼は一寸の迷いもなく熱心に仕事をこなし当時小学生だったクォン・ボア、後にワールドスターに位置づけられるBoAのマネージャーとなって夢見ていた芸能事業を余すことなく学びながら働いた。

ハン・ソンスはSMEで働きながらバンド公演をしていたSHINeeのジョンヒョンと土曜オーディションを受けに来たテミンをキャスティングするなど驚くべき見識を見せたりもした。

SMEでボアのマネージャーを担当することになり、国内および海外の全般的なエンターテインメントの過程を習ったようだ。

戦略的な部分や海外活動など 近くで見て、すべてが冒険だったし特別な経験を積み上げたと思う。

さらに、他社からソン・ダムビやカヒが所属したガールズグループS-Blushというチームをアメリカに進出させた。

この過程も今のK-POP活動においてとても大きな青写真となった。

※ハン・ソンス代表のインタビュー記事から抜粋

そして彼は当時、ボアのバックダンサーをしていたカヒと出会い、SMEを退社して彼女と一緒に新しいエンターテインメント会社を企画する。

プレディス エンターテインメント

プレアデス星団から取った名前である。
プレディスは星の群れという意味だ。

設立後、最初にデビューしたソン・ダムビ以降 現在まで40人余りのアーティストと共にしている。

しかし、エンターテインメント会社の役員職ではなくマネージャー職にだけ携わっていた彼が運営するその会社は、実務どころか業務にもとりわけ弱く、資本は彼の経験しかなかった。

会社の運営は乱調だった。

当時プレディスにいた練習生はカヒとソン・ダムビ、メイビー、そして8歳だったシヨン。

ハン・ソンス代表は2008年にソン・ダムビをデビューさせた後、カヒと共にアフタースクールのメンバーを直接集めに歩き、劣悪な会社の事情を如実にさらけ出した。

そんな中、2008年9月。

ソン・ダムビ 2枚目のミニアルバム미쳤어 (CRAZY) の異例な全国ヒットにプレディスエンターテインメントは新しい局面を迎えることとなる。

미쳤어 (CRAZY) の主要振付けである椅子ダンスはハン・ソンス代表が直接企画したものでソン・ダムビは当時、そのダンスを踊るのがとても嫌だったと明かしている。

※ソン・ダムビのインタビューより

これに助けられ、2009年1月にアフタースクールは正式デビュー果たす。

そして同年3月、ソン・ダムビは토요일밤에 (On a Saturday Night) という曲で連続右肩上がりの興行を収めることになった。

事業の新たな局面を迎えたハン・ソンス代表は止まらず、同年4月にスチンソ (CUBEオーディション) 出身のユイをアフタースクールの新しいメンバーに迎え入れ、あらゆる媒体に続々と報道資料を出し、神がかったマスコミ宣伝を行った。

ユイはこの当時、健康的な太ももシンドロームを巻き起こしてキャラクターを確立し、これをきっかけに人々はハン・ソンスの連続ホームランと言いながら彼を神の一手と呼び始めた。

※신의 한수 (神の一手) = 신의 한성수 (神のハン・ソンス) もじって略した言葉

この時2009年4月。

プレディスエンターテインメントの名を定着させた決定的な時期と見ることができる。

ユイを迎え入れたDIVA活動後、後にオレンジキャラメルのメンバーとなるナナ、リジ、レイナが新しい練習生として入社する。

ナナとレイナが너때문에 (Because of you) の活動から新たにアフタースクールに加入し、リジは後のBang!から活動を共にした。

そんな忙しい変化を経験していた2009年のある日、プレディスエンターテインメントは江陵で放課後授業をサボっていた男子中学生を発見する。

彼の年齢は15歳。

当時、練習生システムも男子アイドルを積極的にローンチする計画も皆無だったプレディス初の男子練習生であり、後日NU’ESTのリーダーJRとしてデビューするキム・ジョンヒョン、その人である。

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