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私には私だけの世界がある /イ・スマン物語 vol.4【SME】

SM entertainment

こちらはイ・スマン物語の第4話です。

最初から読みたい方は以下のボタンからタブを開いて飛んでくださいね。

イ・スマン物語 vol.1
・韓流からK-POPまで、その起源と出発
イ・スマン物語 vol.2
・イ・スマンの略史
イ・スマン物語 vol.3
・SM初のダンス歌手
イ・スマン物語 vol.4 (←現在ココ)
・イ・スマンの肉声
イ・スマン物語 vol.5
・アイドルグループの時代を切り開く
イ・スマン物語 vol.6
・救世主BoAの登場
イ・スマン物語 vol.7
・K-POPとイ・スマン時代の明暗
イ・スマン物語 vol.8
・経営スタイルの違い
イ・スマン物語 vol.9
・いわゆるイ・スマンスタイル

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イ・スマンの肉声

1999年春、とある記者がイ・スマンとインタビューする機会を持った。

イ・スマンが育てたH.O.Tが北京チャート6位という当時としては異例な記録を達成した時期だ。

15年も経った今、当時のインタビュー内容は一部が古く見え、一部は外れている。

だからこそ興味深い。

彼は最初から最後まで執拗な実業家だった。

音楽が好きで事業を始めたのか、事業をしていたら音楽というアイテムが偶然引っ掛かったのか区別がつかないほどだ。

「大衆音楽は大衆の欲求と時代の変化に敏感だ。社会や文化全体の早い変化に柔軟な思考で対処することが重要だ。企画者は文化の最前線に立つリーディングエッジとして、大衆の文化選択のために準拠集団 (人の価値観や信念、態度、行動などに強い影響を与える集団) を提示することで文化案内者の役割をする。過去には企画会社の社長が1人体制で全てを行っていたが、今は専門的な人材が企画や財政、経営、プロデュースなど分化されたチームで働く。構造的な分担を行った最大の理由は、以前よりアルバム市場の規模が大きくなり、海外市場まで念頭に置かなければならなくなったからだ」

今ではあまりにも当たり前の話となり、インタビューを書き起こすことが恥ずかしいくらいだ。

しかし、その時はまだ社長1人が会社を好きなように『勘』に頼って運営していた時代だ。

古い話だが意味のある説明だろう。

彼は音楽市場という言葉の代わりにアルバム市場という表現を使った。

1999年は音楽が音源へと形態が変わる前であり、CDやカセットテープの形で存在した。

中間媒体なしでスマートフォンに音源が盛り込まれるという考えはおそらく夢にも見られなかっただろう。

「先日、H.O.Tは北京チャートで6位に上がった。そこに投入された費用は1千万ウォンを超えるが、為替レートで計算しても今まで戻ってきた収益はその4分の1程度だ。 失敗したのかって? とんでもない言葉だ。スタートとしては良かった。アルバムが売れるかどうかは問題ではない。歌が流れるとその国に対するイメージが変わり、ファッションや飲食物など一般商品にも影響を及ぼす。市場そのものが広がるのだ」

その時までイ・スマンは付帯産業としての美容やファッション、各種公演イベントに対する深い理解はなかったようだ。

ただ、音楽が流れるとその国に対する関心と好意が高まるという事実を指摘したのは注目に値する部分である。

彼は文化の力を知っていた。

「世界市場に韓国のアルバムを配給することが最大の目標だ。英語でアルバム制作を行う予定もある。世界市場はもはや単一国を相手にするものではなく、パッケージで縛られた市場を相手にしなければならない。それに備え、アジアのパッケージ基地の前哨を設けるためにインターネット放送局を企画している。インターネット放送局の設立が終われば、タワーレコードのようなブランドを作って直接配給に参加するつもりだ。内部的にはレコード会社として初めて上場企業として登録し、多くの人が経営に参加できるようにするだろう。音楽で稼いだお金を音楽に再投資しなければ淘汰されるしかない」

過去の発言を取り出して現在に置き換えてみれば噛みしめて聞くほど面白い言葉でもないが、彼はこの時点でいくつかの公約をしていた。

英語でレコード製作をすることは成就したし、アルバム会社として初の上場も達成した。

インターネット放送局の設立はYouTubeが代わりにしてくれた。

だから彼は、そのサイバー空間にインターネット放送局の概念を跳び越える音楽領土を建設したのだ。

「私が考える韓国の音楽産業界の問題点を生産者と消費者を媒介する2つを中心に話そう。一つはネットワークだ。アルバムをプロモーションするには音楽放送しかない。規制も多く問題も多いが、その他に方法がない。日本の場合は深夜の時間帯でアルバム広告がCMの70から80%を占める。これは自由競争市場に必ず必要な要素だ。韓国は同一時間帯の広告料の差がなく、深夜には番組もない。だから音楽放送に依存するしかない。媒介のもう一つの問題は流通だ。不法アルバムに対する規制が確実になければ、収益で再投資することはできない。しかし、今の規制は非常に弱い。想像するより損失の割合が大きく、まだ手をこまねいている」

コンピュータにも明るかったが、イ・スマンのインターネットに対する理解も黎明寸前だった。

2014年、テレビは既に古い媒体となり、時間競争という側面ではテレビの競争力はゼロなのだ。

1999年秋、イ・スマンはスタジオを作りながら「オンライン空間で音楽をやり取りできるデジタル音源の時代が必ず到来する」という予言に近い主張を職員たちに力説した。

だが、周りの人々は彼の言葉を実感することが出来ず誰も信じなかった。

コンピュータが主流になるというが、実際はコンピュータに触れたこともない人がほとんどだったからだ。

確かにコンピュータ、デジタル、インターネットという概念を総体的に理解するには1999年は早すぎただろう。

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