さあ、本日は前回書いたホームマスターの光と影についての続きです。
前回書いたものは一番最後にリンクを載せておきましたので、気になる方はそこからバスッと飛んでくださいね。
ファンは収益金を払ってもお金だと思ってはいけない
ある日の正午、駅の近くで20代のD氏という6年以上続くガールズグループのファンと会った。
彼はSNSを運営したことはないが、オタクとしての経歴が長いため、それなりにアイドルファンの深い事情まで知り尽くしていた。
D氏が数多くのホームマスターに不満を感じていたのは、コンテンツで生じた権力で行うハラスメント、そして、フォトブックで稼いだ収益金の精算内訳が不透明な部分だった。
ホームマスターが上げる収益金について、一般のファンが目を瞑るラインは明確である。
ファン活動に使う費用。
D氏はホームマスターの写真がファンダムを維持する道具になっていることを認めた。

フォトブックやグッズで収益を出して装備のアップグレードをし、外国にまで行って写真を撮って来るのは一般のファンには難しいでしょう?
ファンがホームマスターのフォトブックを買ってあげるということは『これだけ費用を払うから、良い写真をもっと撮って来い』という意味でもあるんです。
そのように言うのを嫌がる人もいますが、容認するしかない雰囲気だから交通費や食費までは認めています。
それだけホームマスターは苦労するから。
でも、友達とご飯を食べるのに使ったり生活費として使うのは認めません。

写真は撮らせておいてフォトブックの出版だけ止めさせることは出来ませんか?

フォトブックの出版を阻止するのは極端で、いくつかのアイドルにとっては影響が大きいじゃないですか。
一部のSNSでは、フォトブック購入者の半分以上が日本のファンというところもあります。
外国のファンはアイドルに接する機会が多くないので、SNSに頼ることがほとんどだからです。
あるボーイズグループは、ホームマスターに規制をかけたらファンダムが崩れました。
空港写真を撮れないように制限をかけてフォトブックを全部止めさせて…..
そうなると、ホームマスターは撮影をしなくなるので一般のファンはアイドルに接する機会が減ってしまいます。
結局はファンも減ってみんな去ってしまいました。
アイドルを利用してお金を稼ぐなんて想像したことがない
とある街で会ったサラリーマンのF氏は、第1世代のガールズグループのホームマスターだった。
F氏が活動をしていた頃のファンダム市場は、個人ホームページという概念にもあまり馴染みがなく、ある意味ホームマスターの広報活動が大きかった時代だ。
F氏自身は、その時代にグッズを売っても収益金をポケットに入れたことがないと言った。
フォトブックはメンバーのプレゼント用に少しだけ製作して、カレンダーを売っても収益金は全てサポートに使い、精算内訳まで全部公開していたと話してくれた。
最近のホームマスターの手法について話すと『ずいぶん変わってしまった』と寂しさを隠さなかった。

僕たちは、ガソリン代も配送に使う箱代も私費で賄って食事代にも使ったことがありません。
入金された金額の中で残ったものがあれば、それを次のサポートに回すのが普通だったんです。

その頃、フォトブックを売っていたホームマスターはいませんでしたか?

いましたが、今のように多くはなかった。
僕たちには、アイドルグループのために絶対に商売をしてはいけないという考えがありました。
何かを売っていくらか稼いでも、海外コンサートに行って稼いでも、それを全てサポートに回していました。
むしろ私費で使ったお金の方が多くて…その時使ったお金を集めたら高級車が一台買えるくらいです。
フォトブックを売るホームマスターは稼いだお金を充てられるから『僕がバカなのかな?』と思ったりもして、羨ましい時もありました。
それでも、あの時代に推しが僕を幸せにしてくれたから『僕がちょっと高い趣味生活をしたんだな』と思うんです。

フォトブックを売るホームマスターはファンには見えなかったでしょうね。

自分が好きなアイドルでお金を稼ぐのを見ると『愛情はあるのかな』と思います。
もちろん、誰かに頼まれて撮るものでもないし、自らの苦労が報われることでもない。
だからと言ってグッズの収益で装備をアップグレードするのは理解できません。
結局、それでお金を稼ごうとしているじゃないですか。
年々、年を追うごとにサポート競争が激しくなったことも、ファンが直接お金を稼ぐためにフォトブックを撮り始める原因となった。
ファンの火力は、そのアイドル本人はもちろん、ファンダムの自尊心にもなったと、F氏は話す。

サポート競争も酷すぎて、最後には真心ではなく金の亡者になる。
もちろん、推しには良くしてあげたいし、どこかに行って休息もして欲しかった。
輝けるように良い服も着て、綺麗なバッグも持って欲しいと思っていました。
ファンダムのサポート規模が大きくなるにつれ、アイドルの序列化が始まり、そのサポートの優劣がファンの序列に繋がるという悪循環を作ってしまったのだろう。

他のファンダムのサポートリストを見ても、よく分からないと思いますが『僕たちはこれくらいの金額にしよう』こういう感じで決めていました。
F氏は、当時のホームマスターには今のような権力はなかったと話す。
もちろん、良く会うのでメンバーが気付いてくれて親しく過ごすこともあったが、当時はホームマスター自身がメンバーとの個人的な交流を禁じていたと言う。
一般のファンと格差が生じる可能性があるという理由から、事前に自主的なガイドラインを立てていたのだ。

メンバーも『昔の映像を見たいから』と、ホームページにメッセージを送って来ていました。
『映像を送ってくれ』と言ったり、何かをあげたら『貰った』と感謝の挨拶をしたり、聞かれれば僕たちが答えてあげたりするくらい。
でも、それさえもホームマスター同士で意見が分かれるんです。
『個別に連絡したらダメだ』とか『聞かれたら答えてあげないと』と言って。
あるメンバーは冗談半分、本気半分で『連絡先を教えてあげる』と言っていましたが、全てのホームマスターがきっぱり断りました。
当時はファンダム文化が出来て間もない時代だったから、ホームマスターに対する事務所の規制もそれほど大きくはなかった。
F氏のようなホームマスターが今ほどの知名度もなく、商業的な活動に発展しなかった理由もその一つである。
もちろん、当時も公式的な撮影は禁止されていた。
そのため、F氏も削除された写真の復旧方法をよく知っていたし、復旧を不可能にする方法も知っていた。

シャッターを切るたびに写真に番号が振られて削除すればその番号が空きます。
その状態で写真を撮れば、番号が上書きされるので復旧はできません。
それを知っている警備員たちは削除するや否や空に向かってシャッターを切るんです。
何度も何度も押して。
そうすれば、その空いた番号は壊れてしまいます。
だから、みんなメモリーカードを何枚か持って、削除されたらすぐに交換して撮るんです。
今もそうなのかは分かりませんが、それでもお金さえかければ復旧することも出来るでしょう。
メンバーもよく訪れるトップクラスのホームマスターとして名を馳せたF氏だったが、結局ホームページを閉鎖した。
運営しながら一般のファンとの交流で様々なストレスが生じ、酷い牽制と嫉妬、些細な指摘や誹謗中傷が度を越えると未練なく手を引いた。

メンバーは『ホームページを閉鎖したら、ただではおかない』と冗談のように言ってきました。
ずっと『閉めないですよね?』と聞いてきたんですが、返事をしませんでした。
ただ『申し訳ない』とか『忙しすぎてそうした』と誤魔化して、他のファンのせいで大変だったとは最後まで言いませんでした。
今でもたまにメンバーを見かけると、訳もなく申し訳ない気持ちになります。