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私には私だけの世界がある /イ・スマン物語 vol.1【SME】

SM entertainment

こんばんは、Time Holicです。

昨年末あたりにイ・スマン:K-POPの帝王 (Lee Soo Man:The King of K-POP)とかいうドキュメンタリーをアマプラで配信するとかなんとか、ちょっとしたニュースになっていましたよね。

なので、今回はK-POPの簡単な歴史とイ・スマン先生の人生 (SME設立を含む) について、2014年に書かれたものを9話に分けて翻訳しました。

イ・スマン物語 vol.1 (←現在ココ)
・韓流からK-POPまで、その起源と出発
イ・スマン物語 vol.2
・イ・スマンの略史
イ・スマン物語 vol.3
・SM初のダンス歌手
イ・スマン物語 vol.4
・イ・スマンの肉声
イ・スマン物語 vol.5
・アイドルグループの時代を切り開く
イ・スマン物語 vol.6
・救世主BoAの登場
イ・スマン物語 vol.7
・K-POPとイ・スマン時代の明暗
イ・スマン物語 vol.8
・経営スタイルの違い
イ・スマン物語 vol.9
・いわゆるイ・スマンスタイル

今回は非常に長いので、全話一気に読みたい方は上のボタンからタブを開いて飛んでください。

韓流からK-POPまで、その起源と出発

2014年、韓流という単語は韓国の大衆文化が国境を越えて消費される現象を意味した。

初期には少し狭い規模で『韓国ドラマ旋風』の用例として始まり、これが大衆音楽や映画などに拡散したのが現在の状況だ。

しかし、韓流という用語の起源を探ってみるとその意味は今と少し違う。

1990年代、韓国の文化観光部は大衆音楽を広報するために企画・製作したサンプルCDに韓流という単語を入れた。

POPという単語の中国語訳が流行だったため、韓流の本来の意味は『韓国流行歌』の略語だったのだ。

この命名は韓国で行われたが、これを流通させたのは中国メディアだった。

韓流は中国メディアを通じて『韓国のポップミュージック』という意味で使われ始める。

やや曖昧に始まった韓流が中国で本格的に爆発したのは、1999年のCLON公演と2000年に入って相次いで開催されたH.O.T、Baby V.O.Xの北京公演からだった。

CLONの公演は中華人民共和国樹立50周年を記念する行事の一部として、中国政府が初めて公演を許可した韓国のポップミュージックである。

そして、H.O.Tは北京で1万2千人の観客を集めた。

しかし、なぜ中国で韓流が爆発したのだろうか。

それまでの中国は、資本主義的な文化産業が発展することが難しい『文化開発途上国』であった。

商業的な目的で作られた『商品としての音楽』と『商品としての歌手』に中国の一般大衆はここで初めて接したのだ。

これは文化産業の基盤をそれなりに持っていた日本や香港、シンガポールなどで韓国の音楽があまり注目されなかった事実を考えてみれば簡単に理解できる。

韓流は国内企業の進出で始まったわけではない。

1990年代末から2000年代初めまで、韓流はエージェントを通じて国外へ紹介されていた。

このエージェントは一種の文化オファー商であり、韓国企業と直接契約を結んで小規模に自国の商品を販売するだけだった。

この時代の代表的な中国向けエージェントと言えば『ウジョンソフト』が有名で、彼らは1998年にH.O.Tの中国版アルバムをCDとして配給している。

一方、K-POPという新韓流、または韓流2.0を意味する用語は、日本で発売されたH.O.Tのアルバムが1ヵ月で5万枚の販売量を記録した1998年頃から使われたものと推定される。

J-POPとは異なり、K-POPは私たちが付けた名前ではない。

日本の音楽産業界で韓国の大衆音楽全体ではなく、海外に輸出される一部の韓国音楽を指したものがK-POPだった。

日本でのみ使われていたこのK-POPという単語は、2005年に入って初めて韓国の国内向けに転換される。

2009年当時、文化観光部長官は韓国版ビルボードチャートを作ると発表し、そこから『K-POP』という単語が公式的に使用され始めた。

数十年間使われてきた流行歌・歌謡曲という名称の代わりに、産業として韓国の大衆音楽が新たに名を得た瞬間だった。

2011年、米国のビルボードは『KOREA K-POP HOT 100』チャートを新設する。

2008年の『JAPAN HOT 100』に次いでアジアで2番目に作られたチャートだ。

2014年になるとK-POPは『ジャパニメーション』という単語のように、地域的な区分によって命名されたジャンルではなく、それ自体で全てが完結できる1つの市場としての意味を持った。

そして、このK-POPの出発と成長の中心にイ・スマンという人物がいたのだ。

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