こちらはイ・スマン物語の第6話です。
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イ・スマン物語 vol.1
・韓流からK-POPまで、その起源と出発
イ・スマン物語 vol.2
・イ・スマンの略史
イ・スマン物語 vol.3
・SM初のダンス歌手
イ・スマン物語 vol.4
・イ・スマンの肉声
イ・スマン物語 vol.5
・アイドルグループの時代を切り開く
イ・スマン物語 vol.6 (←現在ココ)
・救世主BoAの登場
イ・スマン物語 vol.7
・K-POPとイ・スマン時代の明暗
イ・スマン物語 vol.8
・経営スタイルの違い
イ・スマン物語 vol.9
・いわゆるイ・スマンスタイル
救世主BoAの登場
BoAは非常にユニークな歌手だ。
彼女はK-POPを歌う韓国人歌手でもなく、J-POPを歌う日本人歌手でもない。
そのまま『J-POPを歌う韓国人歌手』であり、BoAを通してイ・スマンの戦略がやっとその領域にまで到達したのだ。
だからといって100%完成した輸出商品でもなかった。
BoAはSMエンターテインメントと日本屈指のレコード会社、Avexが合作して生産した商品だ。
彼女のベンチマーキングモデルは安室奈美恵。
韓国人が現地の人のように日本語を駆使するためには、少なくとも3年の時間が必要だった。
つまり、歌手としてトレーナーが育てる期間+3年である。
それが候補群を小学校高学年の中から選ばなければならなかった理由だ。
BoAはオーディションでS.E.Sの曲を歌い、すぐに練習生生活を始めることになる。
練習生として選抜された小学5年生の彼女は、学校がある京畿道南楊州からソウルの練習室までバスと電車、タクシーを乗り継ぎながら往復5時間をかけて通ったが、一度も遅刻することはなかった。
人が成功するためには少なくとも2つの内の1つが才能でなければならない。
才能と毒気、普通は2つの内のどちらかに偏るが、BoAは『天才』だった。
彼女は頭も良く首席で中学校に入学していたが、イ・スマンの勧めでインターナショナルスクールに転校する。
英語のような外国語の習得が容易であり、感覚も国内的に育まれては困るからだ。
小学生を練習生に選んでインターナショナルスクールにまで転校させたイ・スマンもイ・スマンだが、それを信じてついていったBoAも容易なキャラクターではない。
中国でのH.O.Tの成功と日本でのBoAの成功、その過程だけみてもイ・スマンという企画者がどのような経路で韓国の音楽産業を発展させてきたのか理解するには十分だ。
神話や東方神起、スーパージュニア、そして少女時代と、メンバーの発掘から海外進出まで、その経路は非常に良く似ている。