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私には私だけの世界がある /イ・スマン物語 vol.7【SME】

SM entertainment

こちらはイ・スマン物語の第7話です。

最初から読みたい方は以下のボタンからタブを開いて飛んでください~。

イ・スマン物語 vol.1
・韓流からK-POPまで、その起源と出発
イ・スマン物語 vol.2
・イ・スマンの略史
イ・スマン物語 vol.3
・SM初のダンス歌手
イ・スマン物語 vol.4
・イ・スマンの肉声
イ・スマン物語 vol.5
・アイドルグループの時代を切り開く
イ・スマン物語 vol.6
・救世主BoAの登場
イ・スマン物語 vol.7 (←現在ココ)
・K-POPとイ・スマン時代の明暗
イ・スマン物語 vol.8
・経営スタイルの違い
イ・スマン物語 vol.9
・いわゆるイ・スマンスタイル

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K-POPとイ・スマン時代の明暗

名実共に『アジアのスター』という地位を獲得したBoAとRAIN、そしてSE7ENは、韓国3大企画会社と呼ばれたSM、JYP、YG所属で2000年代半ばの大衆音楽を代表する歌手だ。

これらの企画会社は代行業者に依存せず、海外進出のために支社を設立して直接現地を攻略する『トランスナショナル (国境を越えた) 企業』という特徴を共有している。

この変化はわずか10年の間に起きたもので、韓国の経済成長に続き、音楽産業自体も成長を記録した特別な事例となった。

経済成長の文化的バージョンが音楽産業界でも起きていたのだ。

グローバル化はインターネットというインフラを通して達成できた。

62万人が購読するYGエンターテインメントのYouTubeチャンネルやPSYの成功、3万人のフォロワーを持つ2NE1メンバーのTwitterアカウントにミュージックビデオが公開されたという事実もある。

H.O.Tを皮切りに、韓国の大衆音楽市場は歌手ではなく製作者中心に再編された。

過去に賭博的な方法で行っていた芸能産業に企業経営の理論が導入されたのだ。

イ・スマンは、歌手の音楽からファッションやライフスタイルまでを総体的に企画することをシステム化し、才能もあり、要求することにそのまま従う従順な歌手を主に選抜してデビューさせた。

産業領域においてビジネスモデルとしてこれを実践したのはイ・スマン固有のものである。

しかし弱点もあった。

どのインタビューでも、自作曲が可能なミュージシャンの代わりに10代の練習生を中心に候補を選抜することについて、イ・スマンは『人性 (人間のもっている自然の性質)』という単語を使いながら強調した。

それが多少暴力的になりうるという事実は、すでに多くの評論家が指摘している。

歌手に対して金を稼ぐ道具、あるいは歌を歌う機械にしたということである。

その結果、大衆は新しい歌手がデビューするたびに後ろには誰がいるのか、どの企画会社の所属なのかを問い詰めるようになった。

そして、練習生に対する長い投資期間もまた、企画会社と歌手の間で不合理な契約関係につながる必然的な結果となった。

あえて言及はしないが、東方神起とスーパージュニアの訴訟問題がこれを鮮明に表している。

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